2011年4月4日月曜日

ハングリーであれ、馬鹿であれ

「ハングリーであれ、馬鹿であれ」
Appleの創業者のスティーブジョブズさんのスピーチでの言葉です。

その1



その2


スタンフォード大学卒業式 2005年6月12日

世界でも有数の大学の卒業式に出席できとても光栄に思います。
実は私は大学を出てないのでこれが最も卒業に近い体験となります。
本日は私の人生から3つの話をします。
それだけです。たった3つの話です。


最初の話は、「点を繋げる」という話です。
私はリード大学を半年で退学したのですが、その後18ヶ月は同じく受講してました。
では、なぜ辞めたのか?それは生まれる前にさかのぼります。

私の生みの母親は未婚の大学生で、私を養子に出すことを決めていました。
彼女は私を大学出の方にと強く思っており
もし私の誕生の直前になって、彼らが女の子が欲しいと決めることがなかったのなら、
弁護士夫婦へ引き取られることが決まっていたのです。

そして夜中にリスト待ちしていた私の親の電話が鳴ったのです。
「予定外の子がいますが、欲しいですか?」両親は「もちろん」と答えました。
後ほど判ったのですが、私の母親は大学を出ておらず、父親は高校も出ていませんでした。
生みの母親はサインを拒みましたが、大学に入れると約束することで折れました。
こうして私の人生はスタートしました。

17年後大学に行くことになりました。
が、何も考えずに高い大学を選んだので両親の蓄えは大学の授業料に費やされました。
半年たつと、私は大学に価値を見出せなくなりました。
自分が何をしたいのかも大学がその役に立つのかも分からなかった。
そして私は両親の蓄えの全てを使っている。
だから退学を決めたんです。全てうまくいくと信じることにして。
その時はとても怖かった、でも振り返ってみると最良の決断でした。

退学した瞬間から興味のない科目の必要がなくなり、面白そうな科目を受け始めました。
すべてロマンチックにいきませんでした。
寮がないので友達の部屋の床で寝たり、コーラ瓶を換金して食べ物を買いました。
毎週日曜の夜は7マイル歩いて寺院でご馳走にありついたりしました。あれは良かった。
そして好奇心と直感に従って得た多くのものが、
後になって貴重な価値のあるものになったのです。
一例を紹介しましょう。
当時リード大学は国内で最高のカリグラフィ(装飾文字)教育を行っていました。
キャンパス全てのポスターやラベルまで美しいカリグラフィがなされてました。
私は退学して通常の暮らすの必要もなく、技法を学ぶためカリグラフィ・クラスに出ることにしました。
セリフとサンセリフ書体、字間の調整、すばらしいタイポグラフィなどを学びました。
それは美しく、歴史があり、芸術的に巧妙で、科学では捕らえられないものでした。
そして私は夢中になりました。
どれもが人生になんらか役に立ちそうにないものばかりです。
しかし十年後に最初のMacintoshをデザインするときに全てが蘇ってきました。
そしてその全てをMacに組み込むことが出来たんです。
それが美しいタイポグラフィを持った最初のコンピュータだたのです。
あのクラスに出てなかったら、Macに複数のフォントやプロポーショナル・フォントは入らなかった。
そしてWindowsはMacの単なるコピーだから
それらの機能を持つパソコンはなかったことになります。
退学してなければ、カリグラフィ・クラスに出なかっただろうし、
パソコンは美しいタイポグラフィを持たなかったでしょう。
もちろん、大学時代に先を見て「点を繋げる」ということは不可能でした。
しかし10年後に振り返ってみると、実にはっきりとしているのです。
繰り返します。先を見て「点を繋げる」ことはできない。
出来るのは、過去を振り返って「点を繋げる」ことだけなんです。
だから将来その点が繋がることを信じなくてはならない。
根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから信じること。
点が繋がって道となると信じることで心に確信を持てるんです。
たとえ人と違う道を歩むことになっても。信じることで全てのことは、間違いなく変わるのです。

2つ目の話は。「愛と喪失」についてです。
私は幸運でした。若くして本当に好きなことを見つけました。
20歳の時にはWoz(スティーブ・ウォズニアック)と両親の車庫でAppleを始めました。
10年間懸命に働いてガレージで2人の会社が社員4千人の20億ドル企業へと成長しました。
そしてMacintoshという最高の製品を出した1年後、私は30歳となり、クビになりました。
どうしたら起業した会社でクビになるのでしょう?
会社が成長し、共に運営する優秀な経営者を雇いました。1年ほどは上手くいったんです。
しかしビジョンの相違から崩れました。取締役会が彼の立場に立ち、30歳にして辞職したのです。
とても有名な辞職でした。私の人生の焦点がなくなり、破滅的でもありました。
数ヶ月は何をしていいのかわかりませんでした。
私はそれまでの起業家の地位を落とした、渡されたバトンを落としたんだと感じました。
私はデビッド・パッカードとBob Noyoeに会って台無しにしたことを詫びようとしました。
有名な落伍者となったので、シリコンバレーから去ることも考えました。
しかし私には少しずつ分かったのです、これまでの仕事をまだ好きだということが。
Appleでの事件がそのことを少しも変えなかった。
拒絶されても、なお好きでした。そしてまた始めてみようと決めたのです。
その時は分からなかったのですが、Appleをクビになったことが、最良の事だとわかったのです。
成功の重みが全てにおいて再びビギナーの軽さになりました。
このことで最もクリエイティブな期間の一つに入る事が出来ました。
続く5年間でNeXT社とPixer社を始め、妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。
Pixerはトイストーリーという世界初のコンピュータアニメーション映画を作り、
今や世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
思いかけずAppleがNeXTを買収し、私はAppleに戻りました。
NeXTで開発した技術は、現在のApple再生の中心です。
そしてローレンと私は素晴らしい家庭を築いています。
Appleをクビになってなければこうはならなかったと断言できます。
ひどり味の薬でしたが患者には必要だったのでしょう。
人生ではレンガで殴られるような事が起こることがあります。
信念を失ってはいけない。私は自分のやった事を愛せたから続けてこれたんです。
皆さんも自分の好きなことを見つけなければいけない。それは仕事でも恋人でも同じことです。
人生で仕事が大きなパートを占めていくだろうけど、
本当に満足する唯一の方法は素晴らしいと信じる仕事をすることです。
偉大な仕事をする唯一の方法はあなたのする仕事を愛することです。
まだ見つかってないなら、探し続けること、止まらないこと。
心の問題と同じで、見つけたときは分かります。
そして素晴らしい関係のように年を重ねるごとに良くなっていきます。
だから見つかるまで探し続けること、止まってはいけない。

3つ目は「死」についての話です。
17歳のとき、私はこんな文章にを読みました。
「1日1日を人生最後の日として生きよう。いずれその日が本当にやって来る。」
強烈な印象を受けました。そして33年間、毎朝、鏡をみて自問自答しました。
「今日が人生最後だとしたら今日やることは本当にやりたいことだろうか?」
「No」という答えが幾日も続いたら、私は何か変える必要があると知るのです。
死を意識することは、人生において大きな決断をする価値基準となる最も大切なことです。
何故ならほとんど全て、外部からの期待やプライド、恥や失敗への恐れ、
これらは死によって一切なくなるのです。
あなたが死を意識することが、失うことを恐れない最良の方法なのです。
あなたたちは既にありのままなのです。思うままに行動しない理由はないのです。
私は1年前にガンと診断されました。
朝7時半にスキャンしたところ、すい臓の腫瘍がはっきり写っていたのです。
私はすい臓が何かもしりませんでした。
医者たちは言いました。
「ほぼ間違いなく治療不能なガンで余命は3ヶ月から6ヶ月でしょう。」
主治医は家に帰って仕事を片付けるように言いました。
それは死の準備をするようにという意味の医者の言葉なのです。
つまり、子どもたちに伝えるべき今後10年間のこと全てを数ヶ月で伝えろということなのです。
家族がなるべく楽になるようにしっかり始末しなさいということなのです。
家族にさよならを告げなさいということなのです。
私は診断書を1日抱えてすごし、夕方、バイオプシー(生体組織診断)をしました。
内視鏡は、のどから胃腸に入り、すい臓から腫瘍細胞を採取しました。
私は鎮静剤を服用していたのですが、そこにいた妻は私に話してくれました。
医者たちは顕微鏡で細胞を見た途端に泣き出したそうなのです。
手術可能な極めて稀なすい臓ガンだと分かったからです。
私は手術を受け、今も元気です。
これまで私が最も死に直面した経験で、この先何十年かは、ないことを望んでいます。
この経験から、私はより確信を持ってあたなたちに言えます。
死を意識することは役に立ったが、単に頭の中の概念でした。
誰も死を望みませんよね、天国に行きたいという人さえ死を望まない。
にも関わらず、死は我々が共有する最終地点なんです。
誰も逃れることは出来ないのです。
そしてそうあるべきなのです。死は生における最も優れた想像物なのだから。
それは生に変化を起こすもので古きものを消し、新しきものへの道を作るのです。
今、新しきは君たちです。しかし、そう遠くない未来に君たちも古きものとなり消えていきます。
とてもドラマチックな言い方で申し訳ないですが、それは全くの真実なのです。
君たちの時間は限られている。だから無駄に誰かの人生を生きないこと。
ドグマに捕らわれてはいけない。それは他人の考え方と共に生きるということだから。
他人の意見というノイズによって、あなた自身の内なる声、心、直感をかき消されないようにしなさい。
最も大事なことはあなたの心や直感に従う勇気を持つことです。
それら内なる声、心、直感はどういうわけか、君が本当に何になりたいのか既に知っているのです。
それ以外のものは、二の次でいい。
私が若い頃、「全地球カタログ」という驚くべき書籍があって、同世代のバイブルでした。
それはスチュアート・ブランドが製作しており、彼の詩的な作風で生き生きと仕上げていました。
60年代後半でパソコンもなく、全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていました。
それは当時のGoogke文庫版と言えるもので、理念があり、使えるツールと偉大な概念であふれていました。
スチュアート達は「全地球カタログ」を何度か出版し、ひと通りやり終えると、最終号を出しました。
70年代の中ごろで私は君たちと同じ年頃でした。
最終号の裏表紙は早朝の田舎道の写真でした。
冒険好きならヒッチハイクで見るだろう田舎道。
写真の下にはこんな言葉がありました。
「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ、馬鹿であれ)」
それは彼らが残した別れのメッセージでした。
Stay hungry, stay foolish.常に私自信がそうありたいと願っています。
そして今、卒業して新しい人生を始める君たちに、そうあって欲しいと願います。
Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ、馬鹿であれ)
ご清聴ありがとうございました。



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